こんにちは。ライターのゆっきー監督です。

今回の「ゆっきー監督のサブカル談義」では、村上春樹について談義していきます。村上春樹の具体的な作品内容の解説ではなく、村上春樹自身や作品全体を通してどう読むべきか、どう読んだ方が楽しめるかを追及していきます。

村上春樹といえば日本でトップセールスを誇る超人気作家です。さらに世界中でも翻訳され、現代作家の中でもその人気は世界最高と言えるでしょう。

本来そうした作家や作品は大衆性があって誰にでも読みやすいもののはずですが、村上春樹作品は違います。奇抜で難解、それでいて世界中で売れ続けているのです。

そんな特殊な村上春樹ワールドの歩き方を今回は談義していきます。作品内容のネタバレはしませんので、今から読もうと考えている人もご安心ください。

まだ読んだことがない人には読む前の心構えを、一冊でも読んだことがある人は、さらに奥深く理解するための談義だと思っていただければ幸いです。それでは早速談義していきましょう!

村上春樹とは?

1949年生まれ。京都府生まれで兵庫県育ちの作家。

早稲田大学卒業後、ジャズ喫茶を経営しながら処女作『風の歌を聴け』を執筆しました。学生時代は映画演劇科として映画脚本家を目指し、シナリオなどは書いていましたが、本格的に小説を書いたのはこの作品が初めてでした。

自身のコラムでも述べていますが、この『風の歌を聴け』は喫茶店で店番しながら、好きだったアメリカ文学をほぼ見様見真似で書き進めていったそうです。小説の書き方など全く知らなかった喫茶店のマスターが書いたこの『風の歌を聴け』は、なんと群像新人文学賞を受賞。

それまでプロの小説家になることなど全く考えていなかったジャズ喫茶のマスターは、こうして突然の文壇デビューをはたしました。その後執筆した作品もまた文学賞を受賞し続け、村上春樹は作家としての地位を固めていきます。

そして1987年刊行された『ノルウェイの森』が爆発的に大ヒットし、村上春樹の人気は盤石のものとなりました。

作品紹介(長編)

風の歌を聴け(1979)

村上春樹の処女作。30歳。

「神宮球場でビールを飲みながらプロ野球を観戦している時に、ふと小説を書こうと思いたった」というのは有名なエピソードですが、この作品の執筆は「とにかく苦労の連続だった」と本人も語っています。20代にして結婚、ジャズ喫茶をオープンした村上春樹はとにかく借金の返済に負われていました。

それでも会社員のようなストレスを抱えることはなく、好きなジャズに囲まれた日々は大変ながらも充実していたようです。そうした中、店の仕事を終えてから夜明けまでの間に少しずつ書き進め、半年ほどで完成したのがこの『風の歌を聴け』です。

ですが初稿は自分でも落ち込むほどの出来でした。いかに村上春樹とはいえ初の執筆ですから当然うまく書けるはずもありません。

「才能なんかない」と落ち込んだそうですが、神宮球場で感じた“小説を書ける感覚”は残っていました。そこで彼は「どうせうまい小説なんて書けないんだ。既成概念を捨てて好きに自由に書いてみればいいじゃないか」と割り切って書くことにしました。

その既成概念を捨てるために行ったことは、[marker]なんと英語で書くこと[/marker]。初めの1章分ほどを英語に訳しそれを日本語に移植するという手法を試した時、彼は初めて「自分の文体」というものに気付きました。

物語自体はほぼ同じですが、表現スタイルが全く違う『風の歌を聴け』はこうして完成したのです。もちろん現在の成熟した村上春樹が今読むと欠点だらけで、2、3割ほどしか表現できていないそうですが、それでも記念すべき処女作品。

きっと本人にとっても思い入れが深いことでしょう。主人公の僕、その友人の鼠という初期村上春樹作品における重要な鼠3部作の1作目です。

1973年のピンボール(1980)

『風の歌を聴け』の続編でもある鼠3部作の2作目。『風の歌を聴け』は、時系列の構成をいじっているために複雑というより読みづらい印象があります。

こちらの『1973年のピンボール』では、いずれ表現されることになる村上春樹ワールドの片鱗を感じることができます。ピンボールという現代ではイメージしづらいかもしれないゲーム機が物語の軸になっていることもあり、全体的に浮遊感漂う不思議なテイストな作品になっています。

僕と鼠の2人のその後に起きることが暗喩されているようにも感じられ、村上春樹の趣味に対する造詣の深さも至るところに散りばめられています。

羊をめぐる冒険(1982)

この『羊をめぐる冒険』は、村上春樹作品の中でも個人的にベスト3に入るほど、魅力的な作品に仕上がっています。同様に「これがベスト」と感じている読者もかなり多いようですよ。

この作品で、以降全ての村上春樹作品の根底にある特徴が早くも具現化されました。僕と鼠の二人の物語の完結編になっていますが、主人公の僕の後日譚は『ダンス・ダンス・ダンス』で語られることになります。

上記の風の歌とピンボールでは、まだ成熟していなかった村上春樹の文学観がこの『羊をめぐる冒険』で一気に開花した印象を誰もが持つことでしょう。深くそれでいてユーモアに富み、繊細で謎だらけな作品。

きっとワクワクしながらも胸が苦しくなる奇妙な体験をすることができるでしょう。

注意
かなりおススメの1冊ですが、これを読む前に先に『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』を読んでおきましょう。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(1985)

世界中で賛否両論が沸き起こり、初期村上春樹作品の代名詞にもなっているほど有名な作品です。鼠3部作のような軽快な雰囲気は全くないので物語に入り込むまでやや根気が必要になります。

この作品は重厚かつ難解です。人によっては10分もたずに本を閉じてしまうかもしれません。

鼠3部作を書いている時の村上春樹はには苦しみながらも楽しんでいた様子が目に浮かぶのですが、こちらには「自分の文学レベルをもう1段階必ず引き上げる」という頑ななストイックさと力強い意志を感じます。この意志がとにかく重くて固いのです。

初めて本気の本気になった村上春樹を知ることができます。おかげで読んでいる方は馴染むまではかなり疲労するでしょう。

ところが不思議なことに、読み進めるうちにこの作品の構造が肌に馴染み、それまで息苦しかった空気が途端に風通しが良くなったように感じられ、ページをめくる指は止まらないようになります。深い迷宮に迷い込んだような錯覚がなぜか心地よく感じられるようになると、村上春樹作品の虜になる一歩手前ですね。

注意
村上春樹をまだ読んだことがない人には、この作品から読むことは全くおススメできませんので別の作品から読みましょう。

ノルウェイの森(1987)

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で文学的に飛躍的に向上した村上春樹が、名実ともに手中に収めた記念すべき作品です。とはいえ、なぜこの作品が当時あれほどまでに爆発的ヒットしたのか正直僕には謎です。

触れれば粉々に砕けるほど繊細なラブストーリーで、終始美しい小説ではありますが、大衆性があるかと言われれば皆無といってもいいでしょう。徹底したリアリズムのおかげで村上春樹特有のユーモアもなく、とにかく雰囲気が暗くて重いので、軽い気持ちで読み始めるときっと打ちのめされてしまうでしょう。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』同様『ノルウェイの森』から村上春樹を読むこともあまりおススメできません。ちなみにこちらは松山ケンイチさん主演の映画もあります。

この映画は原作に忠実なので、「本を読む時間はないけど『ノルウェイの森』には興味がある」という人には映画がいいかもしれません。

ダンス・ダンス・ダンス(1988)

『羊をめぐる冒険』を経た「僕」の後日譚になっています。『ノルウェイの森』でリアリズムに尽力した村上春樹の成熟した作家力を堪能することができます。

これを読んだ時に僕は初めて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ノルウェイの森』の価値を体感することができました。作家にはその作家の手癖というものが必ずあります。

そしてその手癖が村上春樹はかなり個性的です。後に詳細を書きますが、村上春樹の手癖つまり特徴の1つに「シームレス」ということが挙げられます。

シームレスとは繋ぎ目がないという意味ですが、大げさではなく“日本を歩いていたら気付いたらアメリカにいた”くらい、村上春樹作品におけるシームレスは顕著です。この作品では『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で作り上げた重厚な世界観と、リアリズムの塊である『ノルウェイの森』をシームレスで展開させたような印象を受けます。

『風の歌を聴け』からまだ10年もたっていませんが、村上春樹という作家が1つの到達点にたどりついたターニングポイントの作品が『ダンス・ダンス・ダンス』です。

注意
鼠3部作は完結しましたが、その3作で衝撃的な経験をした「僕」の後日譚なので、ぜひ3部作を読んでから読みましょう。

国境の南、太陽の西(1992)

『ダンス・ダンス・ダンス』で1つの到達点にたどりついた作家村上春樹は、その後に『ねじまき鳥クロニクル』という最高スケールの作品を生み出します。この『ねじまき鳥クロニクル』は物語としてかなり壮大なのですが、実は初稿ではさらに壮大だったようです。

村上春樹は、出来上がった原稿をまず初めに奥さんに読ませて感想を聞くことで有名ですが『ねじまき鳥クロニクル』はあまりに壮大すぎて、奥さんから「詰め込み過ぎ」と指摘されてしまいました。そこで『ねじまき鳥クロニクル』で泣く泣くカットした場面を基にして作った長編がこの『国境の南、太陽の西』です。

同じラブストーリーでも『ノルウェイの森』とは趣きが全く違います。分量が多かった『ノルウェイの森』ですが、この作品はかなりコンパクトにまとまっています。

そのせいかどうも村上春樹作品の中で軽視されているような印象を受けているのですが、実はこの作品も村上春樹作品の中ではかなり重要な作品です。というのは[marker]“後期村上春樹作品の原型”とも呼べる作品[/marker]だからです。

この作品における主人公とヒロインはその後の作品におけるいわばロールモデルのような存在です。もし「村上春樹作品ってよく分からない」という人がいるならば、この作品をじっくりと読み込むことで村上春樹作品との付き合い方のヒントが得られるでしょう。

シームレスなトリップをきっと体感できますよ。

ねじまき鳥クロニクル(1994 – 1995)

村上春樹という作家の最高最大最長の作品と言うことができるのが『ねじまき鳥クロニクル』です。僕が最初に読んだ村上春樹作品は『1Q84』でしたが、実は初めはあまりピンとこず、最初の50ページほど読んでそのまま放置していました。

正直何が面白いのか分かりませんでした。その後1カ月ほど放置した頃に「そのまま寝かせておくのももったいない」と思い、重い腰をあげて読み進めると……気付くと村上春樹ワールドの虜になっていたのです。

そんな僕が次に読んだ作品がこの『ねじまき鳥クロニクル』でした。しかし、2作品目でこれを読んだのはいまだにミスチョイスだったと自分で思っています。

『ねじまき鳥クロニクル』を読むのは村上春樹作品の中でも最後の方がよいでしょう。理由はこの作品を読んだ後に他の作品を読むとやや物足りなさを感じてしまう可能性があるからです。

この作品には村上春樹という作家の全てが込められていて、思想、知識、人生観など作家村上春樹が縦横無尽で怒涛の如く駆け抜けていきます。ゲーム風に言えば村上春樹無双と呼べる作品ですね。

無人島に1冊だけ村上春樹作品を持っていけるとしたら僕はこれか『海辺のカフカ』を選びます。それほどまでにおススメの1冊ではあるのですが、なにせ相当な分量です。

体力気力が充分な時に読まないときっと挫折してしまうでしょう。気軽に手を出すと火傷する作品です。

もちろん奇妙かつ難解な作品です。「村上春樹に全力で立ち向かいたい」と思っている人のみが手に取るべき本と言えるでしょう。

[marker]正真正銘村上春樹作品の傑作です。[/marker]

スプートニクの恋人(1999)

『ねじまき鳥クロニクル』という傑作を書き終えた村上春樹が新たに挑戦したのは文体でした。これまでの村上春樹はどちらかというと文章よりも物語における世界観に重点を置いていましたが、その世界観は『ねじまき鳥クロニクル』で1つの完結をむかえました。

『ノルウェイの森』や『国境の南、太陽の西』と同じくタイトルどおり『スプートニクの恋人』もラブストーリーですが、文体が非常にタイトになっており物語自体もギュッとかなり絞れています。村上春樹の文体は本来緩さがウリです。

この緩さがどこかユーモア感を漂わせている理由でもあるのですが、『スプートニクの恋人』では本人は「意識してかなり絞めた」と語っています。この違いは『国境の南、太陽の西』と『スプートニクの恋人』を読み比べてみると容易に分かるはずです。

この作品も村上春樹作品の中ではやや軽視されている風潮があるようですが『ねじまき鳥クロニクル』の後で、『海辺のカフカ』の前という2大超傑作の間の作品なので、そう言われてしまうのも仕方ないのかもしれません。だからといって軽視するのは間違いとここで断言しておきます。

『ねじまき鳥クロニクル』が最高ピークだったのは間違いない事実ですが、『スプートニクの恋人』も傑作の1つです。引き締まった文体によって同時に引き締まった物語は、リズミカルに読むことができます。

さらに状況描写がとにかく美しいです。村上春樹作品の中で1番初めに読むのがいいかもしれません。

海辺のカフカ(2002)

『ねじまき鳥クロニクル』に匹敵する傑作、見方を変えれば越えているかも。個人趣向だけで言えば僕はこの作品がベストですし、村上春樹作品では最も有名な作品かもしれません。

それまで30代の男性が主人公だった村上春樹長編作品の中で唯一子供が主人公の本作。そしてもう1人の主人公とも呼ぶべき人間は老人。

1人の少年と1人の老人が織りなす究極の不思議物語ですが、ベースとなっているのは『ねじまき鳥クロニクル』と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の融合です。“幻想的な旅行記”とでも言いましょうか。

幻想旅行記のような体裁の『海辺のカフカ』を恋愛小説に置き換えたものが『1Q84』と言えるでしょう。村上春樹と言えばすぐメタファーと連想する人が多いのですが、そのメタファーの使い方がこの『海辺のカフカ』で完成されました。

『スプートニクの恋人』で文体を締め上げた村上春樹が一回り大きくなって、またもやキャリア最大の傑作を完成させたのです。『ねじまき鳥クロニクル』からまだ10年もたっていない時期にこれを書いたというのは、もはや感嘆せざるをえません。

とはいえメタファーの使い方があまりに特殊なため、こちらも村上春樹作品では後半に読んだ方がいいでしょう。浮遊感があり謎が謎を呼ぶ衝撃的な展開は、村上春樹作品との付き合い方に免疫がないとただ困惑するファクターです。

実際に読んだ人でも全然分からなかったという人がかなり多い作品です。ちなみにカフカというのはチェコ語でカラスという意味で『変身』で有名なフランツカフカとダブルミーニングになっています。

アフターダーク(2004)

村上春樹作品の中ではかなり異色な作品です。本人も話していますが、物語の視点を映画のカメラワークを意識して書いたというのがこの『アフターダーク』です。

タイトルどおり闇がテーマとなっているので、全編を通してどことなく暗い雰囲気が漂っています。『海辺のカフカ』で極めたメタファーをまた違った形で表現しようと挑戦した意欲作です

内容的にもかなりコンパクトにまとまっており読みやすい作品ではありますが、そこはやはり村上春樹。一筋縄ではいきません。

この作品はそうした視点や文体など作家技術としての成熟を感じますが、表現性という意味ではやや手ごたえがありません。“メタファーの魔術師”とも呼べる村上春樹にしては描き方がやや深みに欠けている印象があります。

これもまた特殊な作品なので初見の方は控えた方がいいでしょう。

1Q84(2009 – 2010)

ここ最近では最も世間を賑やかにした作品です。出版された当時は売れに売れすぎてちょっとした社会現象になっていたのを覚えています。

『ねじまき鳥クロニクル』に匹敵する分量でありながらも読みやすい『1Q84』はハードカバーの全3巻、全てがミリオンセラーとなりました。僕が初めて読んだ村上春樹作品なので今ではかなり思い入れがあるのですが、最初の50ページほどはあまりピンときませんでした。

『海辺のカフカ』同様主人公は2人いるのですが、きっとこの2人からあまりインスピレーションを得られなかったのが原因です。『海辺のカフカ』の主人公2人は登場した瞬間から個性的でした。

一方『1Q84』の2人は30歳近くで、今思えばよくも悪くも村上春樹キャラです。一見普通に見える30才ほどの2人はもちろんその後大きな物語の流れにのるわけですが、この2人が活き活きし始めたのはとあるキャラクターが登場してからになります。

このキャラクターがまたもや鮮烈なメタファーでして、つまりこの『1Q84』もまた村上春樹節全開の作品というわけです。僕がこれを初めに読んだのはただの偶然だったのですが、自分の第一印象や読んだ人の印象を聞くと、やはり最初に読むべきものではないようです。

この作品が読みやすいというのはあくまで村上春樹作品に免疫がある読者です。鼠3部作や『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』なども読んだ上で読むならば、非常に読みやすい作品です。

この作品では成熟しきった村上春樹に出会うことができます。成熟しきったということはつまり隙がないことも意味しています。

村上春樹のファンで初期が好き、後期が好きなど議論されることがよくありますが、これは「この隙をどう捉えるか」で変わります。確かに初期の作品も素晴らしいものではありますが、やはりまだ隙はあります。

まだ熟していない果実とでも言いましょうか。粗削りな部分もあり、それがいいという人もたくさんいます。

後期になれば当然経験を積み技術が上がるので、その果実は熟し糖度が増します。つまり糖度が上がった果実が好きか、やや酸味がある果実が好きかという違いですね。

もちろんこればかりは個人趣向なので、大いに語り合えば談義に花が咲くことでしょう。文学とはいえ娯楽は娯楽。

ファンが語り合うのもまた大切なことですからね。この『1Q84』という作品は村上春樹という作家が熟しきった作品です。

技術やモチベーション、キャリアまでも総合的に考えると村上春樹という作家のピークに間違いないでしょう。そういう意味ではやはり別の作品から読んだ方がその糖度を分かりやすく体感することができます。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(2013)

そんな成熟した作家村上春樹の新たな1歩となったのが今作。やれることを全てやってきた人間が1周回って原点に戻ったという印象を受けました。

純文学という枠で見ればこの作品が最も純かもしれません。村上春樹作品はだいたいの作品でどこか1点が特に尖っている傾向があります。

例えばメタファー、例えば文体などその時代においての優先順位がはっきりと作品に落とし込まれているのですが、この『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、そのような印象をあまり受けません。

総合的に文学的価値が大きいと感じます。もちろん十八番の幻想的メタファーも使用してはいますが、焦点は別のポイントです。

タイトルどおり「多崎つくる」という主人公が焦点そのものになっています。これは村上春樹作品の中では実は珍しいことなのです。

村上春樹作品におけるだいたいの主人公はどこかふわふわしています。自分のことをまるで他人事に感じているような節が随所に見られます。

妙な言い方ですが、血が通っていないように感じることがよくあるのです。例えるならカメラのピントが主人公には常に微妙に合っていないようなずれを感じます。

ピントが合っているのはメタファーだったり、不思議なサブキャラクターだったりするのですね。これもまた村上春樹作品を難解にしている理由の一つなのですが、この多崎つくるにはきちんと血が通っていてピントが合っています。

なので初見の人はもしかしたらこの作品から読むのがベストかもしれません。もちろん村上春樹作品なので一筋縄ではいかない物語が待っていますが。

騎士団長殺し(2017)

村上春樹長編最新作。『1Q84』、『多崎つくる』と成熟した作品を執筆した村上春樹も御年69才。

1,000ページにもなる長編をいつまで書いてくれるのか心配(余計なお世話)です。そんな心配を吹っ飛ばしてくれた『騎士団長殺し』でしたが、「ここにきてそうきたか……」というのが正直な印象でした。

これは誉め言葉ではありません。その輝かしいキャリアの中で「ここにはすでに到達していましたよね春樹先生」と僕は感じてしまいました。

シームレスな幻想世界は充分に築き上げもう完全に完成されています。モチーフを変えただけで再び現れた神秘主義といった印象です。

数ある村上春樹作品でベストを『騎士団長殺し』と挙げる人はあまりいないでしょう。もちろん物語としては面白いですが。

これまでの作品は面白いという形容詞では収まりきらない特徴が必ずあったのですが、騎士団長殺しは面白いという形容詞で収まってしまいます。面白ければ小説なんていいじゃないかという意見はごもっともなのですが、常に挑戦をして切り開いてきた村上春樹ですから物足りなかったのは事実ですね。

少し自分が築き上げてきたものに寄りかかってしまったのかな、というのが率直な感想でした。何度も言いますが面白いです。

決して駄作だと言っているわけではありません。

春樹ワールドの特徴

それでは村上春樹ワールドの大きな特徴を3つ挙げてみましょう。どの時代どの作品においてもこの3つは特記されるべきものです。

文体

まず文体です。村上春樹の文体はさっきも言いましたが非常に緩いのが特徴です。

緩いというと抽象的ですが、分かりやすく言うと普通で安易なのです。しなやかで柔軟性がある文体が村上春樹の文体です。

物語として悲劇を描くことも多い村上春樹ですが、何を書いてもどこかユーモアがあるのはこの文体の影響が非常に大きいです。『海辺のカフカ』のタイトルにもなっているチェコの作家フランツカフカの作品も同じです。

村上春樹自身がフランツカフカに強く影響を受けたとは断言はしていませんが、かなり影響を受けているのは間違いないでしょう。例えば緊張感ある場面でパスタを茹でているなどの描写を自然にします。

本来文体とは物語を効果的に伝える手段なのですが、村上春樹作品では手段ではなく演出方法の一部になっています。『スプートニクの恋人』ではかなり締め上げたと本人が語っています。

普通で安易な文体がタイトになっているという違いは『スプートニクの恋人』を読むときっと体感できるでしょう。

メタファー

さて、村上春樹を語る上で絶対に欠かせないものがこのメタファーです。メタファーとは直訳すれば隠喩、暗喩となります。

簡単に言えば比喩の一種ですね。誰でも日常会話レベルで比喩は使っています。

「あれって〇〇っぽい」というのも比喩です。メタファーとは文字通り比喩を比喩として表向き扱わない隠れ比喩です。

村上春樹のメタファーはこれが1つの言語や対象を飛び越えて、人間や世界そのものがメタファーとして成立しています。そこには物理法則もありません。

摩訶不思議でありえない現象が平然と起こります。村上春樹作品を読んで意味が全く分からなかったという人は、まずこの物理法則を無視したメタファーが直接的な原因となっています。

物理法則を無視した物語は理屈で解明できなくなってしまうので、このポイントではっきりと村上春樹作品の好き嫌いが分かれているようです。パターンとしては主人公の周囲にいる重要サブキャラクターの不思議な少女や美しい女性が、何かしらのメタファーになっている場合が多いですね。

言い換えるならば[marker]村上春樹という作家とうまく付き合うには、主人公以外のキャラクターとより深く付き合うことが前提[/marker]になります。とはいっても必要以上に追いかけてもいけません。

[marker]村上春樹メタファーに関してはっきり言えることは必要以上に追いかけないことなのです。[/marker]

シームレス

文体を安易で分かりやすくしておきメタファーを駆使して構築される春樹ワールドは、難解で不思議と思っている人も多いようですが、根本にあるのは平凡です。概ねありふれた日常がテーマとなっているので、実はこれは当然のことなのです。

主人公はほとんどが30代くらいの普通の男性です。人ならば誰にでもあるような心の穴を感じながら、何気ない日常を過ごしている男性です。

この平凡な主人公が井戸や首都高、羊男などのメタファーを通してシームレスで現世と不思議世界を行き来するというのが、ほとんど定番化しているストーリーです。これはメタファーを効果的に描くには平凡でなくてはいけないからです。

元々おかしな人がおかしな世界に行ってもインパクトはありません。当然作者も意識してこの平凡性を描いています。

そしてこの平凡性を神業をもってシームレスで自然にメタファーへと展開させます。世の中にはいろんな幻想小説作家がいますが、日常と幻想を繋ぎ目なくここまで見事に描写できる作家は世界でも村上春樹ただ1人といっても過言ではありません。

この大きな3点の特徴は難解と言われている春樹ワールドをひも解く鍵になるでしょう。

春樹ワールドの謎

ここからはあくまで個人的な解答になってしまうことを初めにご了承ください。というのもこの謎を解けるのは村上春樹本人のみ、もしくは村上春樹ですらも解けないかもしれないからです。

ここからは僕が作品だけではなく、エッセイやコラムなど全著書を読んでたどりついた結論です。そして当然これには正解不正解はありません。

今回の談義のテーマは「村上春樹作品との付き合い方」なので、「こう考えておけばうまく付き合えますよ」という1つの意見として聞いていただければ幸いです。

解明不可能?

不可能です。絶対に解明はできません。

そもそも解明させるような謎解きを村上春樹も望んではいませんし、そういうつもりで執筆もしていません。前述のメタファーに関してのインタビューを読むと、本人も言語化するのは困難なようでした。

もちろん色々と分析してこれにはこういう意味があると推測することはできますが、正解はありません。つまり自分が感じたように受け取るしかなく、それだけが正解となります。

あるサイトで村上春樹作品を徹底解説していますが、そこには僕の念頭には全くなかったことが書かれていてすごく新鮮でした。それほど捉え方が千差万別になるのもまた村上春樹作品の魅力なのです。

常識は無視?

むしろ無視してしまいましょう。いくらか述べましたが物語中、何度も物理法則を無視した現象が平然と起きます。

この現象を常識、つまり社会の価値感に当てはめると確実に壁にぶつかり読むのが苦痛になります。村上春樹作品では普通に人が空を飛ぶ、それくらいに考えていてもいいかもしれません。

異常な現象と認識するときっと読み進めるのが苦痛になってしまうでしょう。

作品の読み方

それでは最後に春樹ワールドの特徴と謎を踏まえた上で、よりうまく付き合う方法を談義してみましょう。これから読む人、今まで読んでイマイチと感じた人はぜひ、下記3点を念頭に入れて読んでみてください。

1. 作者自身を知ること

村上春樹はエッセイやコラムも多数執筆しています。旅日記やマラソンのこと、小説家という職業のことなどかなり幅広く執筆しています。

これらを読むと当然村上春樹という人間を知ることができるわけですが、できることならこういった作品以外の文章を読んで、村上春樹自身を知った上で作品を読むことをおススメします。かくいう僕もメタファーや謎に関して追いまわった口なのですが、これらのコラムなどを読んでようやく作品との付き合い方を知ったのです。

「村上春樹とはどういう人間なのか」を知れば知るほど作品への理解は確実に深まります。

2. 深読みしすぎないこと

村上春樹作品を深読みするとキリがありません。出口のない迷路を延々と歩く続けることになります。

もちろんこれも読み方の1つではありますが、作者の意図からはだいぶはずれた読み方のようです。出来る限り作者に喜んでもらえるような読み方をしたいと僕は常々思っているので、分析や解明はあまりしないようにしています。

たとえ物語の中で信じられないことが起きてもありのままを受け止めましょう。案外特に意味がなかったりするかもしれません。

3. 謎の解明はしないこと

目の前に謎があれば誰でも解明してすっきりしたくなりますよね。ミステリーでいえばアリバイを崩して犯人を見つける作業になるわけですが、村上春樹はミステリー作家ではありません。

アリバイを崩すような伏線は用意されていないです。解明不可能な謎の解明に尽力しても、それはあくまで自分の中のみで成立する答えであって作品自体の答えではありません。

「自分はこう感じた」たったこれだけのことだけがやはり答えなのです。村上春樹作品と上手く付き合うには、自分の感性を100パーセント信じることが大事なのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は村上春樹作品との接し方を談義してみました。これを読んでみてもそれは違う、自分はこう思うなどいろんな意見があることでしょう。

謎多き作品を談義すれば星の数ほど正解があるのです。そして優れた作品ほどそうあるべきです。

もし今村上春樹作品を読んでみたいと思ってる方がいるならば、ここで談義されていることを頭の片隅にでも置いてくれれば嬉しいです。過去村上春樹作品に触れてよく分からなかった、印象があまり良くないなど感じた人はぜひ今、もう1度読み直してみて下さい。

印象が全く違ったものになるかもしれませんよ。では次回のゆっきー監督のサブカル談義でお会いしましょう!