こんにちわ。ライターのゆっきー監督です。

ご好評いただいている「ゆっきー監督のサブカル談義」ですが、今回はあのビートルズのラストアルバム『アビーロード』について談義していきます。ビートルズのアビーロードと言えば現代音楽を語る上では欠かせないアルバムです。

数多くの伝説を残し、このアルバムを最後に解散した音楽史上最大のバンド「ビートルズ」はどのようにしてこのアルバムを創作したのか? 一体どんな制作背景だったのか?

収録されている曲の紹介も交えながら『アビーロード』を徹底解説。これを読めばあなたもビートルズマニアになれるかも!?

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アビーロードとは?

  • ジョンレノン
  • ポールマッカートニー
  • ジョージハリスン
  • リンゴスター

の4人による音楽史上最大のバンドと言っても過言ではない「ビートルズ」。アビーロードは彼らが1969年にイギリスで発売したラストアルバムです。

最後のアルバムと言っても、翌年1970年にビートルズは『レットイットビー』を発売し解散しています。なので実際はこのレットイットビーがラストなのですが、レコーディングはアビーロードの方が後に行われています。

なのでほとんどのファンは「アビーロードが事実上のラストアルバム」といった認識をしています(後にレットイットビーの一部の曲がアビーロード以降に手を加えられたことが分かったため、レットイットビーがやはりラストアルバムという見方もあります)。

とはいえレットイットビーの最後のレコーディングはジョンレノン不在のまま行われました。なのでバンドとして最後に作ったアルバムはやはり『アビーロード』と言えるでしょう。

世界一有名な横断歩道のアルバムジャケット

アビーロードと言えばやはりこのジャケットが有名ですよね。ビートルズやアビーロードは知らなくてもこのジャケットだけは知っているという人は多いのではないでしょうか?

撮影場所は?

撮影されたのはロンドンにあるEMIスタジオの前の横断歩道です。何の変哲もない横断歩道が、アビーロードの成功により世界一有名な横断歩道となりました。

さらにその後、EMIスタジオはアビーロードスタジオと改名し、以降著名なミュージシャン達が数えきれないほどレコーディングを行っています。なんとこの横断歩道は、2010年にイギリス政府が歴史的遺産と正式に指定したそうです。

たった1枚のアルバムが国すら動かしたということは、このアルバムの歴史的価値を物語っていますね。

有名なあの人たちもパロディを?

横断歩道を歩いているビートルズを真似てたくさんのミュージシャンが横断歩道ジャケットを撮影しています。レッドホッドチリペッパーはほぼ全裸で横断歩道を歩いていますし、本人のポールマッカートニーもソロのライブアルバムで犬と一緒に横断歩道で撮影しています。

他にも様々なミュージシャンがこの「横断歩道ジャケット」を真似ています。今では横断歩道を歩いてるジャケット写真は「アビーロードの影響」と必ず言われるほど、この横断歩道ジャケットは有名なのです。

リリース後には奇妙な謎が……

今となっては奇妙な話ですが当時このアルバムを発表した時に「ポール死亡説」が流れていました。「ポールは実はもう死んでいる」という噂が流れ、問い合わせが殺到するという非常事態が起きたのです。

どうやら事の発端はアビーロードが発売される数年前に起きたポールの自動車事故のようですが……なぜこんな噂が流れたのか、正確な理由は不明のようです。きっかけはこの車の事故と学生新聞のようですが、1つの噂がまた1つの推測を生み……という連鎖反応で起こったようです。

  • アビーロードのジャケットではポールが1人だけ裸足(死人)
  • タバコを利き手ではない右手で持っている(替え玉)
  • ジャケットに映っている車のナンバーが「28IF」(もしポールが生きていたら28才)

などの条件が、ポールが死んでいることを示しているとまで報じられたのです。さらに他メンバー3人の服装も噂を後押ししました。

ジョンレノンが牧師、ジョージハリスンが墓堀人、リンゴスターは葬儀屋というスタイルで裸足のポールは死人。そういった設定になっているとあまりに想像力豊かな噂が、当時は本当に信じられていたのです。

ちなみにその後ポールマッカートニーがソロのライブアルバムで『ポールイズライブ!』という作品を発表していますが、ジャケットはアビーロードセルフパロディとなっています。

これはライブ盤であることとポールは生きていることをかけたタイトルになっています。ポールはビートルズ解散後すぐにソロアルバムを発表しているので、今となっては笑い話ですが当時は本当にこの死亡説が1人歩きしていたそうです。

この噂が流れている頃ポール本人は、ソロ活動に向けての準備をひっそりと行っていたのでメディア露出も少なかったのでした。ビートルズ、そしてこのアビーロードが異常なまでの社会現象になっていたということを示しているエピソードですね。

発売当初の背景

さて、それではアビーロードというアルバムの内容を具体的に解説していきましょう!……と言いたいのですが、その前に1960年代という時代について少し触れてみたいと思います。

世界情勢

1969年つまり60年代最後の年ですね。世界の文化を歴史的に見ると、この60年代という時代はかなり特別な10年間でした。

現代カルチャーというよりも現代社会がここで始まったといっても過言ではありません。挙げればきりがないほどの事件とドラマがこの10年で生まれているのです。

ファッション、政治、戦争、初の宇宙遊泳など、音楽史のみならずこの10年間で起きたことはその後の世界を大きく変えていくことになりました。ここでそれを談義するとアビーロードの内容にたどりつけなくなるので詳細は省きますが、今僕達が何気なく過ごし、何気なく触れているものの原点は、この60年代にあると言えるでしょう。

60年代を過ごしたアーティストは口をそろえて「あの10年間は異常だった」と後に語っています。当然音楽が「ポップカルチャー」と世界中に認知されたのもこの時代です。

そしてこの「60年代の音楽」を先陣をきって駆け抜けたのがまさにビートルズなのです。

音楽業界

とはいえビートルズ以前の音楽は「前時代的で大衆音楽ではなかった」というわけではありません。ビートルズが活躍する前にアメリカではすでに“ロックンロールのキング”が、スターとなりその名を世界中に轟かせていました。

そのキングとはもちろん「エルビスプレスリー」ですね。むしろビートルズの4人も、海を越えて聞こえてきたエルビスの音楽に影響を受けていました。

つまり厳密に言えば、ビートルズ以前にも音楽はポップカルチャーとしてエルビスが定着させていたとも言えます。エルビスプレスリーはその圧倒的な歌唱力とパフォーマンスで、桁外れのセールスを叩きだしていました。

そんなエルビスがミュージシャンとして圧倒的だった50年代と、ビートルズが現れた60年代では決定的な違いがあります。それまでの音楽制作は「作曲家が作った曲を歌手が歌う」ということがごく自然の流れでした。

エルビスもギターを抱えてはいるもののまともに弾いてはいません。簡単に言えばエルビスは最高のミュージシャンやシンガーではあってもアーティストではなかったと言えます。

自分達で作詞作曲をし、自分達で演奏するという今では当たり前となっているスタイルを、当たり前にしたのが60年代のバンド達なのです。反対にエルビスは60年代に入ると映画出演が増え、音楽に対しての情熱を失っていきました。

そこへ彗星のごとく、イギリスからアイドルのようなルックスでオリジナルソングをライブ演奏する「ビートルズ」がアメリカに上陸。こうして世界中でビートルズブームが巻き起こったのです。

ビートルズのそれまでの軌跡

音楽業界はエルビスプレスリーという求心力を失っていたアメリカ人の心の穴を見事にピンポイントで埋めたビートルズの勢いに便乗しました。イギリスではローリングストーンズ、アメリカではビーチボーイズなどが売れ始め、音楽史上初のバンドブームがやってきます。

キャッチーなメロディを武器にしたビートルズに影響を受け、イギリスではビートルズ風サウンドが爆発的に増えていきました。その頃、独自の路線で黒人音楽に傾倒していたストーンズはブルースをルーツにしたオリジナルを発表。

ここに「ビートルズ対ストーンズと」いう60年代の音楽業界を表す図式が成立します(本人達は仲良かったのですがメディアが煽っていました)。そうしたライバル達との共存も音楽業界を活発化させ、精力的に活動していたビートルズの人気は社会現象に発展。

4人の若者達は歴史の一部となっていきました。ライブ中に興奮しすぎて失神者が続出するという異常事態。

ファンが押し寄せホテルから一歩も出れない日々。ろくに演奏も聞かず騒いでいるファンたちの歓声が大きすぎて、自分達の演奏する音が全く聞こえないというライブ状況。

とても音楽活動に適しているとは言えない劣悪な環境から、次第にビートルズはミュージシャンとして、アーティストとして危機感を持つようになります。4人を取り巻く異常な環境は日に日に悪化し、ついに66年、ビートルズはライブ活動を止めスタジオでのサウンドワークに注力するようになりました。

いわゆるビートルズの後期がここですね。その後『サージェントペパー』、『ホワイトアルバム』などを発表し、特にジョンレノンとポールマッカートニーの才能は完全に開花します。

この才能のぶつかり合いこそがビートルズの原動力でもあり、やはり解散に至った原因の1つでもあります。スタジオにこもり、最高の環境で音楽制作ができるようになった4人は少しずつすれ違っていきます。

ジョンはオノヨーコと出会い、ポールはバンドサウンドをコントロールするようになります。ジョージはその才能を開花させる直前、リンゴもまたオリジナルソングを作り自ら歌うことになっていきます。

各々のビジョンが明確になるほど、ビートルズとしての機能は失っていきました。そこで「これではいけない」とポールが提案したのが「ゲットバックセッション」と呼ばれるものでした。

有名な屋上でのライブ「ルーフトップコンサート」や、レコーディング風景をカメラで撮影するなど、新しい要素を取り入れビートルズ復活を心がけたポール、ところがこのプロジェクトは残念ながら失敗に終わります。

この頃レコーディングされたものが『レットイットビー』というアルバムになり、アビーロードの後に発売されました。この頃のビートルズは「とにかく仲が悪かった」というイメージがありますが、人間関係以上にビジョンの違いの方が深刻な問題でした。

とても1つのバンドとは思えないほどビートルズの後期の楽曲は、よく言えば幅広く悪く言えば一貫性がないと言えます。誰が作ったかすぐ分かるほど4人の音楽性はバラバラです。

4人ともすでにビートルズの終わりを感じていました。そうして作られたラストアルバムこそ、この『アビーロード』なのです。

視聴する時のポイント

これはアビーロードを聴く時にぜひ実践していただきたい大事なポイントです。ここをおさえるのと、ただ流して聴くのでは、不思議なほどアビーロードの味わいが違うのです。

『アビーロード』というアルバムは前述のとおり、異常な状況で作られたアルバムです。そんな状況でこの曲この歌詞……とイメージしながら音を聞く、きっとビートルズファンではなくてもこのアルバムの特殊性は伝わるでしょう。

なるべくヘッドフォンで聴こう

これは実はアビーロードだけではなく、ビートルズのアルバム全般(特に後期)に言えることなのですが、ビートルズのサウンドは面白いほどに音が動きます(ステレオ版)。

時計で言えば3時の方向から聞こえていた楽器がグイグイと動いて、気付くと9時にいるなんてことはざらです。

余談ではありますが、この時代のサウンドを聞くと音圧が足りず物足りなく感じる人は多いでしょう。これは「コンプレッサー」と呼ばれるエフェクトが、現代と60年代では全く違うことが1つの原因です。

コンプレッサーとは簡単に言うとボリュームの幅を一定にするものです。例えばドラムセットでも、スネアとバスドラムではボリュームが違いますよね?

録音した段階では、当然スネアの音が大きくバスドラムは小さく録音されています。この時代はまだ録音出来るトラック数が少なかったため、ドラムの録音でそうそうマイクを使うことができませんでした(現代では10本以上マイクを立てて録音します)。

ボリューム調整や周波数調整だけではバランスを整えることができません。そこでこのコンプレッサーという機材を使い、ボリューム調整を図るのです。

ヘッドフォンで聴くとよく分かりますが、この頃のビートルズのドラムはスネアとバスドラムがかなり似ている音になっています。これはこの時代特有のコンプレッサーによるものなのです。

また、ビートルズに限ったことではありませんが、基本的に60年代の音楽はギターのミストーンも分かるほどに1つ1つの楽器の分離がはっきりとしています。音の動きや、コンプレッサー効果、はっきりと聴こえる各楽器など、ヘッドフォンで聴くことによってすぐに分かります。

楽器を弾く人にとっては最高の練習教材にもなってくれるでしょう。真夜中に大きな音で聴いても近所迷惑になりませんからね。

ヘッドフォン視聴は1番のおススメポイントですよ。

時代背景をイメージしてみよう

次のおススメポイントは時代背景を知っておくことです。前述した世界情勢や音楽業界、ビートルズの状況などほんの少しでも頭に入っているとアビーロードの味わいは本当に別物になります。

世間ではジョンレノンとポールマッカートニーの確執ばかりが取り上げられている中で、

  • ジョージハリスンとリンゴスターはどういった曲を作ったのか? どういった演奏をプレイをしたのか?
  • オノヨーコと出会ったジョンレノンは何を歌ったのか?
  • ビートルズのサウンドマスターとなっていたポールマッカートニーはどんな楽曲を作ったのか?

などイメージして聴くととても感慨深くなります。1969年を知れば知るほど、このアビーロードの存在感は増していきます。

音楽という娯楽が社会に対して強い影響力を持っていた特殊な時代。これが60年代の文化の大きな特徴なのです。

例えば同じジャガイモでもどこで作られたか分からないジャガイモと「北海道産」と明記されたジャガイモでは、なんとなく味が違うように感じたりしませんか?それと似たような話です(違うかな?)。

60年代のカルチャーは知れば知るほど奥深いものですから、この機会にぜひ少し知ってみてはいかがでしょうか?

誰がボーカルか知っておこう

この頃のビートルズは完全にボーカルが作曲者です。クレジットこそ「レノン=マッカートニー」となっていますが、これはただの表記クレジットであって、ジョンレノンとポールマッカートニーが共作していたわけではありません。

ボーカルの個人的趣向でのみ作られた楽曲なので、完全に独立した4人の個性を知ることができます。その上でアビーロードを聴くと残念ながら「確かに解散するしかもう道はない」という当時の悲しい現実を体感することができます。

ただし、内容はそれにも関わらずアビーロードでは素晴らしい演奏が満載です。人間関係、環境、プライド、音楽性、など全てがバラバラでありながらも、曲の完成度が驚異的というアビーロード。

ビートルズが“奇跡のバンド”だったということを物語っています。

曲の解説

それでは具体的な楽曲について談義していきましょう。

1. Come Together

アビーロードのオープニングナンバーは、ジョンレノンのその後のキャリアでも特に重要になった曲です。気だるくブルージーなこの曲は、ポールのベーシストとしての腕が特に冴えまくっています。

もしかしたら世界一有名なベースラインかもしれません。ジョンのソウルフルな歌は存在感が抜群で、ジョン自身もかなり納得の出来栄えだったようです。

ちなみにリンゴの印象的なドラミング「6連のタム回し」は実は上手く叩けず、録音されたテープのスピードを変えてあるとのこと。この事実を知った時、僕はかなり衝撃を受けました。

「リンゴのタム回しがとにかくすごい!」と思っていましたから……。いずれにせよビートルズ、そしてジョンの最高のナンバーの1つとも言えるでしょう。

2. Something

ジョージハリスンの曲です。どうしてもビートルズの中では、ジョンとポールに気を使っていたジョージの才能がこの曲で開花しました。

「ビートルズの全楽曲のうちでベスト」と断言する人も多いほど、この曲はロック史上で殿堂入りしている名曲中の名曲です。“美しい”という形容詞がまさに似合う曲です。

ちなみにポールは、今現在のほとんどのライブでこの曲をカバーして演奏しています。ウクレレの引き語りから始まりバンドサウンドになるポールバージョンも、僕は初めて聴いた時に涙せずにはいられませんでした。

個人的にもおススメの1曲です。

3. Maxwell's Silver Hammer

ポールの曲。このような雰囲気がやや牧歌的な曲調は、ポールの得意技でもありますが実は歌詞がかなり物騒です。あの爽やかな笑顔でこの歌詞を歌っているポールをイメージした時、僕は「この人は絶対に頭がおかしい人だ」と思ったものです。

実はアビーロード用の曲ではなく、ゲットバックセッション中には曲自体はすでに作られていました。

4. Oh, Darling

ポールの曲。ポールは元々声域がかなり広いのですが、さすがにこの曲はかなり負荷がかかっていたらしく、喉が潰れることを覚悟してレコーディングしていました。「昔ならもっと簡単に歌えていた」とぼやいていたそうです。

そんなポールですは現在75才(2018年現在)。それでも曲のキーを下げずに全てオリジナルのキーでライブで歌っています。

本来年齢とともにやはり高い声はでなくなるものなのですが、いまだにビートルズの曲をオリジナルキーで歌うポールは「衰え知らずの一流アーティスト」と言われる所以なのです。

5. Octopus's Garden

数少ないリンゴスターの曲です。実はアビーロードの収録曲は全員参加していない曲も多数あるのですが、この曲はメンバー全員で演奏、レコーディングしている稀な曲です。

これは、リンゴがその人柄で当時のビートルズの厳しい雰囲気を和らげていたということを意味しています。そんなリンゴの性格を表しているような曲調なのですが、これもまた歌詞が物騒で「海に逃げたい(ビートルズの雰囲気が悪いため)」という歌詞になっています。

6. I  Want You (She's So Heavy)

ジョンの曲。7分以上もある大作でオノヨーコに捧げた曲の1つです。I Want Youという言葉を全面に押し出したシンプルな歌詞になっています。

それまで歌詞にはかなりの個性を発揮していたジョンですが、ここにきてシンプルな内容だったのでジョンは批難されました。するとジョンは「これが一番大事なことだ」と断言し、オノヨーコへの思いはその後さらに加速してきます。

ジョンはそのキャリアの後期では、こうしたシンプルなラブソングや社会風刺など、メッセージ性が強い歌詞を書くことが多くなります。いわゆる「ラブアンドピース」の思想ですね。

ただし楽曲自体はサイケデリックなサウンドにトリッキーなリズムなど、エッジの効いた作品になっています。

7. Here Comes the Sun

レコードのB面(裏面)はこの曲から始まります。アビーロードの本領はここからさらにもう一段階レベルが上がります。

こちらもジョージハリスンの曲です。そしてこの曲もまた、このアビーロードにおいて最高傑作と言われる1曲です。

『Something』と『Here Comes the Sun』という、まさかの名曲2曲出しというジョージ。このたった2曲の存在が、ジョージハリスンというギタリストを偉大なアーティストへと変貌させました。

前作のホワイトアルバムでもその手腕は披露していましたが、ジョンとポールという天才2人を前にして、ひるまず自分の最高の楽曲を制作したジョージ。ビートルズの伝説にはこの人もまた必要不可欠なのです。

素晴らしく美しい曲なのでおすすめですよ。

8. Because

ジョンの曲。ジョン自身はアレンジには納得していないようですが、ポールとジョージは「アビーロードの中で1番好き」だと公言しています。

歌詞はジョン特有の深淵さを帯びていて、浮遊感のある曲調と相まってかなり深い内容の楽曲になっています。

9. You Never Give Me Your Money

ポールの曲。ここからがアビーロード伝説でも特に有名な「メドレー形式」で展開していきます。

ポールマッカートニーが“希代のメロディメーカー”と言われるのがよく分かる曲です。内容は管理がずさんで財政難に陥っていたビートルズが作った会社「アップル」(スティーブジョブスとは関係ありません)を皮肉っているものです。

かなり辛辣なのですが、メロディと大胆な展開のおかげであまり風刺的な雰囲気にはなっていません。初めて僕がアビーロードを聴いた時、この曲が最も印象に残ったほどメロディが美しい曲です。

10. Sun King

ここからは立て続けにジョンの曲が3曲続きます。ジョンはシュールというよりも意味不明な歌詞をよく書いていますが、この曲もそういった曲です。

メドレー形式で進行していくので、独立した楽曲というよりは大きなメドレーでの第2幕といった印象になるでしょう。

11. Mean Mr. Mustard

ジョンはフィクションの物語を書くことも得意でした。この曲と次のPolythene Pamは、兄妹という設定のキャラクターが存在します。

12. Polythene Pam

この曲が公式ではビートルズにおける最後のジョンレノン作曲曲になっています。以降は全てポールの曲でアビーロードは締めくくられているためです。

ビートルズ最後というと感傷的な言い方になってしまいますが、ここはメドレーになっているので、あまりジョンの曲という印象にはならないでしょう。実はジョンレノンは世間で言われているほどアビーロードを評価していません。

ここのメドレーもあまり気に入ってはいませんでした。聴いていると分かるのですが、ここのメドレーで感じるのは楽曲の良さというよりはポールのプロデュース力です。

ポールが主導権を握ってここのメドレー形式を引っ張っていたのでアビーロードのメドレーは評価が高くても、そこにジョンレノンはあまり感じられません。本人ももちろんそれには気付いているので、あまり評価していないのでしょう。

13. She Came in Through the Bathroom Window

ここからは一気にポールの独壇場です。この曲で1度アビーロードメドレーの幕を下ろします。

前半戦終了といったところですね。ポールが「ビートルズはもうすぐ終わります」と宣告しているような雰囲気が少しずつ帯びてきています。

そして……

14. Golden Slumbers

1分30秒ほどの短い曲ですが、ポールマッカートニーのキャリアでも最高楽曲との呼び声も高いのがこの曲です。アビーロードと言えばここからのポールの3曲メドレーを指している人も多いでしょう。

現在のポールは、この3曲メドレーを積極的にライブで演奏しています。ビートルズのファンがポールのライブでこれを聴くと、大抵誰かが泣いています。

僕も号泣し、僕の隣の人もその隣の人も泣いていました。

15. Carry That Weight

最後の最後を感じさせるナンバーです。『You Never Give Me Your Money』のメロディをアレンジを変えてそのまま使うなど、随所にアビーロードの評価をこれでもかと上げる仕組みになっています。

そしてその歌詞もまた意味深です。それまでのビートルズを総括するような歌詞になっており、後のジョンは「この曲は自分たち全員のことを歌っている」と語っています。

16. The End

事実上フィナーレがこの曲です。アビーロードだけではなく、ビートルズという奇跡のバンドのThe Endです。

この曲はギターソロの応酬で、ポールのライブでもソロバトルが毎回繰り広げられます。今でこそ楽しんで演奏しているように見えますが、当時は一体どんな気持ちだったのでしょうね……

4人で顔を合わせて録音した最後の曲です。

17. Her Majesty

アビーロードで最後の曲にはなっていますが、編集上の都合でエンディングに持ってこられたいわばおまけです。曲といっても30秒にも満たないポールの弾き語りのような曲です。

The Endですでに終わってしまったビートルズからの、最後の最後の小さなプレゼントといった印象です。

なぜアビーロードは名盤と言われているのか?

アビーロード聴いていただけたでしょうか? ビートルズやアビーロードを知らない人でも、じっくり聴くとこのサブカル談義で語られたことがなんとなく伝わっているはずです。

実はアビーロードが名盤と言われている所以は、このサブカル談義で語っていること全てが理由とも言えるのです。具体的には以下の3点になります。

1. 曲が良い

曲の良し悪しの定義は、個人の趣向もあるので一概には言えませんから、相対的な個人趣向ではなく絶対的条件でのみ判断してみましょう。そういったビジョンで曲の良さを定義するならば、セールスと歴史的価値の2点が非常に重要になります。

ビートルズの作品で売れていない作品はありません。「出せば売れる」それがビートルズのビジネスの基盤になっていました。だからといってみなさんもご存じだとは思いますが、「曲が良いから売れる」というわけではありません。

ビジネスにはたくさんの人が関わっているからです。そもそもビートルズがここまで売れたのは4人の才能は当然ですが、マネージャーのブライアンエプスタインの存在が必要不可欠でした。

「ブライアンがいなければビートルズはビートルズにはなっていなかった」と言われているほど、ビートルズにおいてマネージャーの存在は大きかったのです。なので「売れたから名盤」、「売れたから曲が良い」とは言えません。

ところがビートルズのアルバム、特にこのアビーロードは歴史的価値が非常に深いのです。さらにその後のソロ活動においても重要な曲ばかりが収録されています。

この2点だけでも、結果的にアビーロードに収録された曲は「良い曲」と言うことができます。個人として特に好きではない曲はもちろんあります。

ただし、その個人趣向とアビーロードの収録曲の良し悪しはまた別問題なのです。

2. 劣悪な環境

ビートルズの後期は現在では周知されていますがその環境の劣悪さは有名です。単純に仲も悪く、雑な経営をしていたおかげで、会社にはお金がありません。

あれほど売れたのにどうしてお金がなかったのかというと、音楽業界自体がビジネスとして現代ほどきちんと成立していない時代だったからです。この時代は今では信じられないようなことが平然と起きていたのです。

当時雑に処理された楽曲の版権問題はその後、4人(特にポール)をかなり苦しめることになっていきます。いわゆる裁判沙汰ですね。

仲も悪くお金もなくやりたい音楽が全く違うという、まさに負のスパイラルに陥っている中で制作された『アビーロード』は、その存在自体が奇跡なのです。それでいて曲が良い、演奏が良い、となると名盤と言われないわけがありません。

3. 伝説が伝説へ

ビートルズという伝説のバンドのラストアルバム『アビーロード』。このたった一枚のアルバムはその後4人が歩くことになるソロ活動においても、非常に重要なターニングポイントになりました。

つまり1つの伝説が終わり、新たな伝説がここから始まったのです。残念ながらジョンレノンはそのキャリアの絶頂で亡くなってしまい、4人が再び集まることは2度とありませんでした。

それでも90年代に入り、アンソロジープロジェクトでポール、ジョージ、リンゴの3人は公式の場で和解しています。2010年代になってもいまだにビートルズのプロジェクトは盛んで、『ラブ』などの新譜も発売。

1つの伝説の終わりとさらなる伝説の始まりを象徴しているのもまた、このアビーロードなのです。

まとめ

「ゆっきー監督のサブカル談義 - アビーロード編」いかがだったでしょうか? アビーロードにまつわる驚くべき逸話を知っていただけたはずです。

長々と談義させていただきましたが、アビーロードを知らない人にはハンドブック的な役割を、マニアな方には改めて深く味わってもらえるよう尽力した次第ですぜひこのコラムを読み、いろんな背景を知った上でもう1度アビーロードを聴いてみてください。

きっとあなたを1969年の世界へ導いてくれるでしょう。そしてその体験は必ずあなたの心を豊かにしてくれます。

では、次回のサブカル談義でお会いしましょう。ゆっきー監督でした!

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